2 地学と地理、似て非なるお二人
地学と地理の先生。両方ともよく通る声の持ち主という点では似ていたが、動作、振る舞いは全く正反対だった。
地学の先生はするっと背が高く黒縁のメガネをかけていた。まだ20代後半か30代前半だっただろうか。背は高くスタイリッシュ、でも結構がっちりしていて声にも張りがあり、コーラスにはもってこいのバリトンの持ち主だった。また黒板に何か書きながら、狭い教壇を右に左によく動きまわる。その動き方というか、歩き方、とりわけ向きを変える時の仕草がちょっと格好良くて、ファッションショーのモデルかダンスでもやっていたのでは、と思わせるような粋な身のこなしかたが印象的だった。
そんなちょっと都会的でおしゃれな先生ではあったが、たまに教科書を離れ生徒に話しかける時は仙台便丸出しになる。パリのシャンゼリーゼから急に仙台駅前のあの人でごった返すアメ横に急に引き戻されたようでほっとするひと時だ。といって特に人を笑わせるようなことを言うわけではなかったが、その仙台弁に何となく親しみを感じさせる一面があったように思う。授業がうるさい時も決して体育会的に
「こらあっ、うるさい、静かにしろ」ではなく
「ねえ、ねえ、ちょっと静かにしてくれるぅ」
とあたかも年端もいかない子どもたちを諭すような口調で、しかも仙台弁で話すから強面とはとても言い難く、言われる生徒の方も何となく間延びをしてしまうのかあまり効果がない。
ある時、どういうきっかけだったか覚えてないが、授業中に先生がフランス語の発音を披露してくれた。ネイティブの発音ではなかったものの、目の前で始めて耳にするフランズ語。私はその時、ゾクっと体が震えるような興奮を覚えたことを今でもはっきり覚えている。英語とはまるで違う音の響きがあまりにもエキゾティックで、その瞬間だけだったけれど、まるで見知らぬ世界に引きこまれてしまったような強烈な体験だった。
よく喩え話に出てくるけれど、「ビジネスをするなら英語、愛を囁くならフランス語」と誰が言い出したかわからないが、両言語の特徴を上手に捉えているなあと今でも感心する。またこういうのもある。「嫁さんを持つなら日本人、でも恋人を持つならフランス人」まあ、これは国民性の喩え話で言語とは直接関係ないかも分からないが、フランス語が「愛を囁く」にはもってこいの言葉であることと無縁ではないだろう。ことほどさように、あの甘くとろっと耳に響く心地いい音感はまさに芸術作品といってもいい。
ちなみにドイツ語はというと、あのヒットラーを思い浮かべればいい。喧嘩するか、あるいは家畜の豚を追い払う時にいい言語だそうだ。ドイツ人とソーセージは切っても切れない関係にあるから「豚」を持ちだしたのかもしれないが、これもなかなか言いい得て妙である。
話がそれてしまった。兎に角この先生ー名前がどうしても出てこないーの授業を一年間受けていて何一つ覚えてないけれど、雑談で出たこのフランス語のお陰で私が持っていた異文化への憧れと興味がいやが上にも掻き立てられたように思う。私が初めての海外旅行にタヒチを選んだのもその時の強烈な体験が尾を引いていたからかもしれない。そして、それが元で今私は海外に住んでいる。人生というのはどこでどう糸が繋がっているかわからないもののようである。
一般に、生徒は味気ない教科書の講義よりも雑談や何気ないとところで発せられる教師の一言にとても興味を持つことがある。そしてそれが後々まで記憶に残ることもある。それがずうっと後になって知らず知らずの間に人生に大きな影響を与えていた、ということもあるだろう。電子高校時代、もう一人とても面白いことを話してくれた先生がいた。その話はまた後でお話したい。
地理は蔦先生。この先生も声は低く張りがあった。しかし地学の先生を動、とすると蔦先生は明らかに静。教壇の上をあまり動きまわらず、雑談も皆無。そして声を腹の底から絞り出すようにゆっくり大きな声で話す。背はあまり高くはないが横幅がありがっちりしているからとても貫禄がある。地学の先生がダンスクラブ出身とすると、蔦先生は剣道部が柔道部出身。
その上、顔も強面で視線鋭くきっと人を見据えて話すから、これではうるさい生徒も自然に萎縮してしまうというものである。
あの風貌は一介の教師では収まらない人物、とその時から感じていた。ゆくゆくは校長か公立の教師なら教育長になるような器。いやそれでもまだ足りない。いっそのこともっと時代を遡って鎧兜の似合うどこかの戦国武将が相応しい。
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