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2014年10月26日日曜日

投稿記事「電子高と私」野球部

5 野球部で三回目の挫折         10月最後の投稿記事です!

電子高に弓道部を

私は野球が大好きで小さいころプロ野球の選手になりたかったくらいだから、中学生になって迷わず野球部に入った。しかし練習があまりきつくて、情けないことに3ヶ月位で辞めてしまった。私にとって人生最初の挫折。

それから高校まで運動というと、2年の時に転校した仙台の中学校で内申書のためだけに入った卓球部の練習と、級友とやった草野球や卓球くらいのもの。この卓球部は野球部に比べたらまるで楽、練習は確か週に一回いけばOKというゆるいルールしかなかったから、放課後は級友と遊んでる方がいいと草野球をやってるほうが多かったと思う。それから民間の卓球場にもよく行った。

今もあるかどうかわからないが、当時、仙台駅前の日の出会館には映画館の他に卓球場があって学生で結構賑わっていた。私も級友とよく遊んだ懐かしい場所である。卓球場では音楽が四六時中流れていてシューベルツの「風」やらブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」、小川知子「夕べの秘密」、ダーツなどが歌ったコミカルな「ケメコの歌」など当時流行った曲を耳にタコができるくらい聴いた覚えがあるから随分足繁く通ったんだと思う。

その中学の卓球部には、勿論熱心な部員はちゃんといて真面目に練習していたことだけは付け加えておきたい。

そんな軟弱な2年間と9ヶ月を送っていたわけだから、体力がついたとはお世辞にも思えないのに高校でまたハードな野球部に入部してしまうとは、今考えると私にはかなり無謀な決断だったと思う。

それでも、あの野球部の「けいじ」さんから声をかけられるまでは結構殊勝なことを私は考えていたのである。

私は中学3年に志望高を決めた時、中学1年の時の体験はもう繰り返したくなかったから、合格したら練習のきつそうなクラブではなく、自分でもやれそうなクラブをと、その高校にあった弓道部に入ろうと決めた。父が弓道をやっていて小さい頃教えてもらったことがあるのも理由の一つである。

そして入学試験も思ったほど難しくはなかったので、まあ、落ちることはないだろうと思い、その時からその高校生になった気分で新しい生活に夢膨らみ心踊りとてもワクワクしていたことを覚えている。

ところが、まさかの撃沈。ここで2度目の挫折。人生、思い通りにならないものだと改めて知らされる。

その後も似たようなことがあって、それ以来私はもう何事も「絶対大丈夫」とは思わないようにしている。が、性格というのはそう簡単に変わるものではないようで、相変わらずおっちょこちょいでドジってばかりいる私である。それでも少しは「進化」したか、前と違って何かをやる時は最悪のケースも想定するクセはついたように思う。

それはともかく、その結果電子高に入学したのだが、ここには弓道部はない。

その高校に落ちた場合のことを全く予期していなかった私は、電子高に入っても弓道部への未練はなかなか消えず、それならいっそのこと弓道部を作ってみようかと考えた。幸いにもその考えに興味を示してくれた級友がいて、確かC君だったと思う。彼を誘って弓道部を作ろうと二人でいろいろ画策したことがある。だが、何が理由だったか忘れたが、うまく行かずその夢は露と消えてしまった。

野球部へ何故か入って「しまった」

それでも何か運動はやりたいと思っていたので、何か物欲しそうな顔でもして歩いていたのだろうか、入学式からしばらく日が経っていたのに体育館の入り口近くでまだ勧誘をやっていた野球部の、のち主将となる電子科の「けいじ」さん(東北学院大の野球部に入ったと聞いた)から声をかけられて「しまった」のである。そして何故か「はい」と言って「しまった」。

この2回の「しまった」「しまった」で私の第三の破滅、いや挫折への路がこの時敷かれて「しまった」

さっきも言ったように中学の野球部を辞めてから軟(やわ)な2年と9ヶ月の生活だったから体力がついたとはとても思えないのに、何故「はい」と言ってしまったのか、自分でもはっきり分からない。多分他に興味のあるクラブがなかったこと、それで他のクラブに入るならまだちょっとは未練のあった野球のほうが、という気持が働いて「夢よもう一度」とつい「魔が差して」しまったのかもしれない。

それで始まった野球部の練習は、やっぱりきつかった。ただ中学の時に苦労したマラソンが電子高野球部では比較的短かい時間で済んだせいか、その分だけは少し長くふんばれたように思う。そして夏休みに入って一週間くらいまで頑張った。しかし、結局は酷暑で体力が続かず辞めるのは時間の問題だった。皆に比べると田舎育ちにのくせに私は本当に体力がないことを、まじまじと思い知らされ情けなかった。

しかし両親に言わせると、体力の問題ではなくて「お前は根性がないから何をやっても三日坊主で終わるのだ」ということになる。

まあ、当たらずとも遠からず。遊びも習い事も新聞配達も何一つ長続きしたためしがなかったら、そう言われても仕方がない。それで、この辺りから私はかなり落ち込むようになっていき、気がついたらもうどうしようもないところまで行ってしまうことになる。

その話は次回にするとして、野球部での4ヶ月間は実際にどんなだったかというと…、

野球部の練習は辛かったけれど

練習は確かに大変だったけれども、不思議とあまり嫌な思い出はない。中学校の野球部は暗い灰色のイメージしかないのだけれど、電子高野球部での思い出は全く逆で、色で表せばオレンジと青空のブルー。それはきっと部の空気、部員同士の人間関係だろうと思う。中学校の野球部は部員が多かった。そして上級生も同級生も電子高野球部のように密ではなくて、何となくバラバラで私は誰かと話したとか、話しかけられたとかという思い出がなく疎外感というか孤立感みたいなものを常に感じていたように思う。

それに比べると電子高野球部は部員の数が少なかったせいもあるだろうし、仙台の開放的な土地柄もあるかもしれない。皆とは結構コミュニケーションがあってお互いが比較的近い存在として意識していたように思う。いつも元気一杯でガッツのあるけいじさんの人柄も大きいと思う。

けいじさんは常に我々に声をかけていた。勿論、ミスをして怒られることのほうが多かったが、「ばかやろう」とか「このやろう」ではなく、激励の意味を込めた叱咤の類で、良いプレイをすればちゃんと褒めてくれた。そういう意味ではけいじさんは下級生に対してもコミュニケーションの取れるとてもいいリーダーだったと思う。

嫌だったことを強いて挙げれば、何でもこのクラブの伝統だそうで連帯責任とかと称して同級生の誰が何をしたのかよく理由がわからないまま、バットを足に挟んで正座さらられたことが一回あった。これは確かに痛かった~。でも、あの恐怖の応援練習よりはいい。何故ならあの種の身体的な痛みはいずれ収まるが、恐怖はトラウマになってずっと後々まで残る場合があるからだ。心理的、精神的にはいいことではない。

同級生ではメガネを掛けた実直そうな荒君、明るくて誠実で真面目な小鹿君、大河原から来てた背の高いちょっといたずらっぽい菅原(孝)君等などがいた。私と同じで途中で辞めた佐藤君(台原中)もいた。小鹿くんは小柄ながら結局キャプテンになったはず。彼はまとめ役にはピッタリの人物だ。あとは名前は忘れたが、小鹿くんよりもずっと小柄で「珍念」なんて渾名がついていた電子科の同級生。私より体力は無さそうだと思っていたのに結局3年までやり通した。ハードな練習も辛い顔一つ見せずよくやっていた顔が忘れられない。温厚な性格だったから、今もきっと皆から慕われていることと思う。もう一人、郡部から来ていた電子科の彼も朴訥ながら人情味のあるいい同級生だった。

こんなこと書いていたら、なんか無性に皆に会いたくなってきたなあ。あっ、そうだ。この談話室で「人探し」やってみるのも悪くはない、と書きながらアイディアが浮かぶ。

上級生では、特に3年生は2年しか違わないのに随分大人びて見えたものだ。下手投げのピッチャーの確か赤坂さんという人はいつもにこにこしていたっけ。2年生もみないい人達だった。けいじさん、赤間さん、鈴木さんなど。ただ練習では草野球レベルの技量しかない私はよく怒られてばかりいたが。

特に、一塁の守備練習ばかりやらされていた私はセカンドの鈴木さん(名前は自信がない)へ送球すると、

「おい、お前、どこへ投げてんだよ、ちゃんと投げろよっ!!」

と何回言われたか。

石田先生は時々練習に顔を出しては熱心に指導していって下さった。「新兵」の1年生はただ聞いて見ているだけだったが、私は先生から直接声をかけられたことが一度だけある。練習中に「投げてみろ」と言われて、守備練習を中断しマウンド横の投球練習場で2年生の、体が大きくて当時すでに4番バッターで正捕手だった先輩(名前が思い出せない)めがけて何十球か投げてみた。私が左利きだったのでちょっと投手にどんなもんかと思ったのだろうが、黙ってみていて、それっきりだった。

合宿は二回経験した。でも覚えているのは寮(今もあるのだろうか)の大部屋で寝たことと夕食に食べた鯖しか記憶が無い。電子高からバス通へ向かって登っていく坂道の左手にある食堂の鯖定食が旨かった。

そして、夏。高校野球宮城県予選をベンチで経験した。公式大会でベンチを経験するなんてはじめての経験だったので、我ながらちょっと興奮した。そして一回戦で負けて、それから程なく私は野球部にサヨナラした。

県予選の時も、辞めた日も日差しがじりじり照りつける暑い日だった。
 
*次回は、「堕落の日々と救世主(仮称)」の予定です。



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