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2014年12月8日月曜日

投稿記事「電子高と私」2-3 2年9組の思い出


船岡先生と副担任梶野先生
電子高校2年目のクラスは9組。本館の2階だったと思う。端っこで階段のそば。部屋は広かったような気がする。担任は物理の船岡先生。新潟出身で大学院を出てまだ間もなかったと思う。とても真面目できりっとした感じの先生だった。このクラスには副担任がいて公立高校教師を引退してきたと思われるベテランの梶野先生。担当は数学。関西弁で話す先生だった。この先生が実はなかなかの人だった。

担任と副担任は何かと対照的で、一方は真面目一徹で、あまり、というより全く無駄なことは口にせず、ましてや冗談の類は叩かない。授業が特にそうだった。

どうも記憶がはっきりしなくて船岡先生の物理の授業は1年生の時に受けたような気もするが、それはともかくとして、私は文系人間で理系は苦手。特に物理は大の苦手。先生の話はちんぷんかんぷんで何を言ってるか正直言ってわからなった。理解しようと努力する前にそういう話は私の頭がそもそも受付けてくれないのだ。人間には関心があるけれど、物には不感症にできてるらしい。

こうなると、私みたいな人間はじっと我慢して聞くしかないが、それも限界があって1年も続けられるものではない。となると内職するか、朝なら早弁するか、もしくは起きてるふりをして寝るかくらいしか選択肢はない。しかし、先生は話し方、動作に「あそび」というものがない。いわゆる余白というか隙というものがない。だから、何か具合いの悪い場面でも見つかろうものなら「こら~っ、何やってるんだ!!」と鋭い叱声が飛んできそうで、怖くてただただ時間が来るのをじっと待つ以外になかった。

もう一方の梶野先生は、余裕綽々としていて見るからにベテランの雰囲気を醸し出していた。しかし先生に余裕があると生徒にも伝播して緊張感が緩んでしまうもの。それがいい方へ行ってリラックスした雰囲気の中で勉強が捗ればいいが、夜更かし組みや早朝起床組みの生徒にとって緊張感が緩むとは、睡魔への誘いとほぼ同義語であって、勉強が身に入ることと無関係の関係にある。

しかも先生はしばしば話が脱線してしまう。こうなると状況が更に悪化する。寝ることへの罪悪感は消えてしまい猛烈な睡魔が襲ってくるのであった。

その上もう一つ悪いことがった。先生の話し言葉である。
 
先生は関西出身者らしく関西弁で話すのだが、早口で元気のいい浪速や河内弁ではなく優雅でおっとりした京風なものだから、眠りかけてる生徒には子守唄を聴かされているような具合いになる。こうなると、こっくりこっくりするな、という方が無理である。他の生徒にとっても緊張感が緩んでくれば集中力が無くなってヒソヒソ話をし始める生徒が出始める。

しかし、流石だと思ったのは、梶野先生はそこをちゃんと計算していたことだった。他の先生なら

「こら~、静かにしろ」

と正攻法で言うものだけれど梶野先生は違う。

「・」

ほんの一瞬、急に甲高い声で何か言うのだが、早すぎて何といってるか聞き取れない。敢えて言えば「しっ」とか「やっ」というような「音」としか言いようがないのだけれども、それよりも短いのだ。これが絶大な効果を発揮し教室はたちどころに静かになる。

 それまではにこやかに話していた人からは想像もつかない声、いや音に、生徒はびっくりして恐れおののき氷ついてしまう。

経験上多くの人は知ってはいると思うが、その人の普段のイメージや雰囲気からは程遠い言葉なり行動を突如として見せつけられると、相手はあっけにとられて、一体何が起きたか飲み込もうとして沈黙してしまうものである。それが昂じると恐怖でパニックになることもある。

梶野先生はこれを上手く使ってクラスをコントロールしていたのではないだろうか。リタイア組の先生は多かったが、こういう技を披露する先生は梶野先生だけだった。「職人芸」などと大袈裟に言うつもりはないが、なかなか良く考えた技ではなかったかと思う。何十年という教壇体験から自然に身につけたものなのかもしれない。


船岡先生の素顔
私の記憶が正しければ、船岡先生は確かこの年に結婚した。というのは1年の時から一緒に2年9組に移ってきたC君と、もう一人剣道部のU君だったと思うがクラスを代表して結婚式に出席したことを覚えているからだ。特別理由がなければ担任以外の先生の結婚式に出席するはずはない。

 実は結婚前、そのU君とC君と私の3人で西多賀だったか三女高の近くに一人住まいしていた先生を訪ねて行ったことがある。長屋みたいなところで一人住まいしていた先生は、学校で普段見かける生真面目でちょっと近寄り難い面影は全くなく、ニコニコしながらとても嬉しそうに迎えてくださった。そして普段教室では聞けない話を聞いたり、写真を見たりして楽しく過ごした。困ったことがあると親身になって話を聞いて下さったりと、教室ではわからない先生の一面を垣間見る思いだった。

 そういう先生の素顔にすっかり甘えてしまった私は、大学卒業後も訪ねて行ったことがある。いろいろご迷惑もお掛けした。この紙面をお借りしてお礼かたがたお詫びしたい。

最近、船岡先生にお会いする機会があった。昔と全く変わらず若々しくてびっくりした。私はもう白髪だらけ、頭もかなり禿げ上がっている。第三者からみたら、私のほうがむしろ歳上に見えたのではないだろうか。

船岡先生には、いつまでも若々しく元気で第二の人生を楽しんで頂きたいと切に願う次第である。



*次回は他の先生とクラスメイト、その時に起きた出来事などを中心にお話しする予定ですが、再来週の帰国の準備で忙しくなっており投稿が遅れるかもしれません。予めお断りいたします。