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2014年9月9日火曜日

投稿記事「電子高と私」初めに  菊地 1969年 普通科入学 

初めに

私は昭和44年に東北工大電子工業高校普通科に入学した。この年どういうことがあったのか調べてみると、1月に東大紛争で入試中止決定、5月東名高速道路開通、7月のアポロ11号の月面着陸がおもなところか

ヒット曲では由紀さおり「夜明けのスキャット」森進一「港町ブルース」にいしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」、フォークソングでは「白いブランコ」に「風」、トワ・エ・モアの「ある日突然」「空よ」「白い色は恋人の色」などが。夫々に懐かしい歌ばかりだが、私にとってこの年というと決まって思い出す曲がある。千賀かおるの「真夜中のギター」と中山千夏の「あなたの心に」。

勉強部屋に小さいが買ってもらったばかりの、しかも生まれて初めてのステレオがあったので嬉しくて嬉しくていろんなレコードを買ってきてはよく聴いたものである。中でもこの二つは好きだった。いずれもしんみり、しかしほのぼのしてくるいい曲だ。メロディはとてもシンプルなのだが、かえってそういう曲のほうが余計心に響くのかもしれない。


ちょうど中学3年生の時と電子高1年目に重なる頃に流行った歌で、部屋で夜更かししながらよく聴いたことを覚えている。高石友也の「受験生ブルース」に出てくる文句だけれど「味気ない、砂を噛むようなやるせない」受験時代、そして受験に失敗して敗北感から落ち込んでいた日々を慰め癒やしてくれた本当に忘れられない曲である。

私には、この年もう一つ忘れられない歌がある。黛じゅんの「天使の誘惑」。電子高に入ってから放課後にバス停の八木山神社前に行く途中に、ちょっとした雑誌の立ち読みができる菓子屋だったか雑貨屋があって、私はよくここで立ち読みしたのだが、その時、その店のラジオからよく流れてきたのがこの歌だった。 先のしんみりした曲とは正反対で明るく、なんとなくウキウキするハワイアンっぽいメロディで今でも大好きな歌である。

ある時いつものようにこの店で立ち読みをしていたら、この店の若いお兄さんから、

「ダメよ、そんな(エロ)雑誌読んでちゃ」

「……、」顔が真っ赤になったことは言うまでもない。

 
でも読んでいたのは「平凡パンチ」「プレイボーイ」。今の時代ならエロ本には入らない本だと思うが…。

TVでは「柔道一直線」「サインはV」が始まる。このころから学生活動は街頭闘争や火炎瓶を投げたり、内ゲバやリンチ殺人を繰り返すようになっきて、世の中が物騒になってきたなあと思っていた頃だが、時代の風潮としてはまだまだ高度経済成長を謳歌し明日にまだ夢と希望の持てる雰囲気が残っていたのだろう。

そんな時代に電子高に入学した私。1年から3年までをざあっと振り返ってみたら1年目、2年目、3年目がそれぞれ全く違う生活だったことに我ながら驚いている。1年目は自堕落な日々、2年目は立ち直って真面目な規則正しい日々、3年目はまたそれとはうって変わって自由奔放に生きた日々だった、というと聞こえはいいが、傍から見たらめちゃくちゃな生活だった。

当時は自分のやってることをやってはいけないことだと知りながら、いろいろ理屈をつけていきがっていたのかもしれない。しかし、あの時代、若者の間で「造反有理」と言う言葉がよく飛び交っていたように、既成の秩序への反発、反抗心みたいなものが高校生の間でも結構蔓延していたことも事実である。もっとも工大推薦考えていた生徒にはあまり関係のない話だったかもしれないが。


調べてみたら、あの「止めてくれるなおっかさん、背中の銀杏が泣いている~」という言葉も、ちょうどその前年暮れから流行り始めていたという。今考えると全くの偶然だったけれど、鶴田浩二や高倉健でも出てきそうな言葉と私のいきがっていた姿がダブって見えてきて、何故か可笑しさがこみあげて来る。

担任の太田先生には随分とご迷惑をかけてしまった。しかし先生はとても寛大なお方だった。確かクリスチャンだったはず。若気の至りということできっとお許し下さっていたことと思う。

では順に私の高校生活の3年間を振り返ってみたい。



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