1961年に発足した東北電子工業高校は1964年に東北工大電子工業高校と名前が変わったものの、通称「電子高」として1994年に東北工大高校と名称変更するまで33年に渡り存在し続けました。それは戦後の高度経済成長期のほぼ頂点を迎える頃からオイルショックとバブル崩壊による二度の不況を経て低経済成長期に入っていった昭和後期と重なります。社会的にはベトナム戦争と60年安保に始まって、ビートルズ、新幹線、東京オリンピック、月面着陸、万博、フォークやグル-プサウンド、高校生まで巻き込んだ全共闘運動やベ平連、浅間山荘事件、二度に渡る不況と戦後史に残る大きな出来事が次から次へと起きた騒々しい時期でもありました。
この昭和の後期を荒廃から復興へと皆がむしゃらに走ってきた時代から、立ち止まって「僕って何」(77年の流行語)と後ろを振り返えり、スローダウンして多様な生き方を模索し始める人が増えてきた、云わば時代の転換期だったという人がいます。
そんな時代に多感な青春を迎えた「電子高」世代にとっては、僅か3年という高校生活もその後の人生も、夫々に忘れ難い出来事や思い出が錯綜する日々ではなかったでしょうか。特に不況で就職難の時に就職活動しなければいけなかった人、あるいは職場や経営してる事業が不況で影響を被った方々には大変な苦労があったと思います。また大きく変わる時代の価値観やライフスタイルにも悲喜こもごものドラマがあったという人も少なくはないでしょう。
そう考えていくと、私達が夫々に抱える時代の風景なり記憶というものを、そのまま風化させるのは何か勿体無いような気がしてくるのですね、私には。と言って別に改まったことをするつもりはないのですが、大変な時代を生きた我々同窓生が過去から今までを、仮にそれがサクセスストーリーや波瀾万丈のドラマでなくても、気楽に自由闊達に喋れる場があったらいいだろいうなと思うようになりました。そういう歳になったということもあるでしょうが、私は。そこで電子高、工大高が消滅したこの機会に思い切ってそのアイディアをブログという形でやってみようと思ったのです。
この談話室では、まず「高校時代の思い出」「高校卒業から今まで」「後輩へのメッセージ」の三本立てのテーマで皆様から投稿を募ります。そしてここで過去を自分史として残すもよし、郷愁に浸るもよし、また今を語りエッセーとして皆に読んでもらうもよし、と自由にお使い頂きたいと考えております。
平成に入ってからの工大高同窓生もこの談話室の常連としてお迎えしますので10代後半から60代後半まで集まって幅広い話に盛り上がれるようなればいいですし、更にはここを情報交換の場としても利用して頂けるよう工夫もしていくつもりです。
ブログですと、遠くに住んでいる同窓生も簡単に参加できるだけでなく、後輩となる城南高校生もアクセスができる。そうすれば電子高、工大高の歴史や私達の人生体験を語り継ぐことも可能です。それは何も成功談である必要はなく失敗談であっても彼らには貴重な話となるはずです。
この談話室では、まず「高校時代の思い出」「高校卒業から今まで」「後輩へのメッセージ」の三本立てのテーマで皆様から投稿を募ります。そしてここで過去を自分史として残すもよし、郷愁に浸るもよし、また今を語りエッセーとして皆に読んでもらうもよし、と自由にお使い頂きたいと考えております。
平成に入ってからの工大高同窓生もこの談話室の常連としてお迎えしますので10代後半から60代後半まで集まって幅広い話に盛り上がれるようなればいいですし、更にはここを情報交換の場としても利用して頂けるよう工夫もしていくつもりです。
ブログですと、遠くに住んでいる同窓生も簡単に参加できるだけでなく、後輩となる城南高校生もアクセスができる。そうすれば電子高、工大高の歴史や私達の人生体験を語り継ぐことも可能です。それは何も成功談である必要はなく失敗談であっても彼らには貴重な話となるはずです。
もっとも同窓生がどの程度このブログに気付いて下さるか、また興味を持って下さるか皆目見当がつきませんが、一人でも二人でも輪が広がれば、皆様の意見、提案を取り入れながら一緒のこのブログ運営していきたいと思っておりますので、どうか宜しくご協力お願い申し上げます。
なお、このブログ特段の事情が発生しない限り公開設定とします。
なお、このブログ特段の事情が発生しない限り公開設定とします。
電子高9回生
菊地
ニックネーム:スモレーワ
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